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自己と周りの関係

「攻殻機動隊」「イノセンス」に描かれた内面世界について

先週末に、NHKの特集番組【プレミアム10「立花隆が探る サイボーグの衝撃」】を観ました。
その番組中に取り上げられていた「攻殻機動隊」の映像をみて、にわかにDVDが観たくなり、土曜と日曜にかけて連続して観ましたが、そこに込められたテーマ「自己とは何か・他人と何をもって区別するのか」というのが気になっています。

「攻殻機動隊」については、もうさんざんあちこちで分析・解説されているので、あらためて説明めいたことは書きません。(ちょっと検索してみても、TV局の番組サイトからマニアと呼ばれる人たちの作っている趣味100%のものまで、玉石混合を呈しているので、あえて解説のリンクは貼らずにおきます)
しかし映画になったストーリーだけを見てみても、個としての自分の意識とは何か、それは何によって形づくられ、自分以外の者(orモノ・物)との関係、あるいは何かのパワーバランスによって、個としての意識・行動・判断は変化する....というたぐいの発想を生み出します。

翻って「立花隆が探る サイボーグの衝撃」の内容では、従来の義手・義足といった不完全な物から、技術の発達によって、失われた人間の機能を限りなく完璧に補完するモノ(義体)として機能するようになる、というレポートがありました。 実際、陸上競技のスプリンターのために、高反発・高耐久の素材を使った義足が実用化されています。 その“器具”を使えば、パラリンピックなどで健常者の記録(100m走で9秒台)など簡単に破られてしまう時がきっと来ると思います。

自分と他人を区別するモノ....
それは究極、「個としての意識」そのものだと思いますが、攻殻機動隊に出てきた台詞「もしかしたら、自分という存在は疑似生命体としての意識だけなのかも知れない」が、妙に気になる今日この頃....
 
 
 
あ〜〜!マズイな。 今日のお天気のせいか、ヘンに哲学っぽい事を書いてるぞ。(笑)
(^_^;)ゞ

コメント

わたくしもチムポは偽体化してます。
(・ω・)ノ

偽体?
義体?

....擬態____!?

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